ギャラリートーク

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書と絵の間に壁はつくらない。自分のやりたいことをやる

田宮

さっき伊藤先生から文字性の問題が少し出されましたけど、布穀会の歴史をみても文字性にはっきり寄っているのと、外見上は文字から離れているように見える作品とが混合してあるんですね。これは大元をたどると上田先生にさかのぼると思うんです。僕が桑鳩邸に行った時なんか庭に竈はありますし、石にも凝ってたし、その点、手島右卿が「一つに絞っては?」と疑問を投げかけた時、上田先生から「すべてが私なんだ」という答えが返ってきて、どこまで行っても両者は平行線なんですね。そういう上田先生の精神が、この布穀会に流れ込んでいる。書と美術というか、あるいは文字性とそれ以外の抽象表現というか、その辺をどいう風にお考えになっているのでしょう?

 

横山

これは戦後、議論されてきましたが、私は現在の時点では書と絵というのは同じだと思っています。我々のやってきたもの、小川瓦木さんなんかにもそういうものがあるんですが、展覧会に出したものは全然文字じゃないんですね。それで、いい線なんです。いろいろ考えてみますと、長年かかって書というものをつくり上げてきた概念は間違っているのではないか、と思うようになった。それで、文字をつくった象形文字以前まで遡っていかなければ、書の行為、書く行為、それが人間に与えられた時の行為が純粋に理解できないのではないか、ということ。私が今迄やってきたことは、文字を分解したり塊(マッス)とか線だとかいろいろですが、いずれも文字を振り切ろうとしていたわけです。漢字や仮名文字は東洋文化圏のもので、それはそれで独特でいいのですが、それだけにこだわっていたのでは自分がやりたいことができない、発展性がないということで、現在の私の場合は原始の人間の行為に立ち戻って創作していく、それが書を芸術作品へとつなげていくしグローバル化へと広げていく道だと考えています。

 

田宮

徳田さんは書と美術の問題いかがですか。

 

徳田

書というより線という考え方が正しいかもしれませんね。書の線と絵画の線と違うと思っていたんですけど、大野先生に、それを質問したことがあるんです。「書と絵とどこが違うんですか」と。「つながりでしょう」と言った。そのことは「気」のことをおっしゃった――「気がつながっているか、つながっていないか」ということをおっしゃった、と今でも思っているのですけれど、つながりは全部つながっていても、「気」がつながっているのが「書」かな、と解釈したんです。それは絵も同じなんですね。絵の中の画面で気はリズムとしてあれば、同じことだと思うし、だから書というよりは、線、優れた線、例えば太古の洞窟の壁に残る線は、今の私たちが見てもドキッとするぐらいいい線がありますね。そういう原点を念頭にして、今の人たちは書く場合どう反応するのか、ということです。ネット時代の線の概念はちょっと違ってくるのではないかと、これは私はまだクエッションマークなんですけど、期待を込めて思っています。布穀会の新潟研修旅行で接した良寛の書が文字を書いているのですけれど、そぎ落とされた線だけで表されており、全く今の前衛作品に匹敵するものをすでにやっていたということ、それを私のこの眼で確かめてきたのです。だから、そいう論議(書と美術の境界)は必要ないんじゃないかなと思う。線の自律性を表すなら、それでいいのじゃないか、という考え方に今なってきたので境界を引きたくない。絵描きである私の先生に質問したことあるんです。先生は少し考え時間をおいてから「芸術に壁とか線とか引くものはありません」と言われたんです。「自分がこれをやりたいと思ったものをやればいいんですよ。書的であるとか、絵画的であるとか考えるな」と続けられまして、私も納得いたしました。芸術にそんな枠なんていうものは、もともと存在しなくていいんだと考えて作品をつくっています。

 

田宮

比田井南谷さんの作品をご覧になるとよく分かりますけれど、外見的には文字性を発見することは大変難しいわけね。抽象表現主義の運動が起きた時に彼は渡米するのですよ。そして通算10年ぐらい向こうにいましたかね。しかし彼の向こうでの10年間の体験というのはすごく大きいものがあったと思うんです。海外の抽象表現主義のストローク性というものに共通の関心を持っていたところが、発想の根本を突き詰めていくと、やっぱりどうしても違うものがあるということなんです。ここのところが伊藤先生が文字にこだわるということと非常に関係があるんじゃないかと思うんですよ。

 

伊藤

先程申しましたように、聖一国師の遺偈を見てびっくりしたんですが、それを書くと同時に息絶えているんですね。上田先生の書かれた「いろは」という絶筆の色紙ですが、その線には一つの世界像がありますね。池大雅の画には書の線が入っていると思う。線については村上華岳の「前世からの因縁」という言葉が印象深い。線の美しさ、線というものをどう扱うかというのが、いちばんの結論だといえます。だから面的な表現よりも線的な表現というのが、何か新しい書の行き方じゃないか。その点で大野さんがやっている仕事は、そうだなと思います。これは線の芸術を生かしている書の中での前衛作家だと思います。私自身はまだ中途半端ですけど。ところで書に対する芸術的認識ですが、これはまだ確立されていないですね。若い人たちは自分の立場から立ち上げて出来ると思います。

 

田宮

中国では書と画は同源といいますよね。今の世代でも書と両方やる人、あるいは篆刻もやる人が多いのですけど、日本の書家の方が書と美術の違いを考える時には中国的な「書と画は同源」でなく、西欧的な意味の書と美術の境界で考えていると思うんですね。この辺どうですか。

 

梅木

多分にあると思うんですね。書ということで最近は通用するようになったんだけれど、聞いてみると、共通認識がそれぞれ違うんですよ。さっき伊藤さんがおっしゃったように書という共通認識はまだ確立されていません。だから、布穀会展の案内状の「私たちは書の可能性を求め…」という箇所の「書」という言葉を使うかどうか毎年悩みますし、『布穀会の栞』をつくった時も「書」を使いたくない人も結構多かったんです。書という言葉が残るかどうか、これからも分かりませんが、僕なんかは「書」にこだわりたい方です。桑鳩先生が亡くなる前、「お前らが前衛書やったって何やってもいいのだが、書の古典を踏んまえてやらないと発展性がないよ」といわれたことを憶えています。あと一つ、書というものを考えていくと時間性ということも追求していく必要がある。時間性を盛り込んだ4次元の書をね。それから桑鳩先生に言われたのは、線質の問題をね、ずいぶんいわれたんですよ。書は線質が見えるようにならなければ、そして立体的に見えなければ駄目だと言われていたんで、そのことは僕の中心に据えてやってきたつもりです。

 

田宮

日本の書の場合は鎌倉時代に禅宗が入ってくることによって、禅の書というのは非常に大きな比重を持ちますね。これは書法ではないんですね。非常に精神的な空間がそこに起こる。これが書に流れ込んできている、と私は考えているわけなんですけど。そうすると、一口に書っていっても中国書的な考え方と、禅宗が入ってきて精神性が高まり、それから、仮名の散布を平安時代に発見して行の言語空間から離れていった。一字がぽんと飛んでいるのは言語的にいえば不自然ですよね。読みにくいし、それを美的に解釈して創造したのは、日本独特の書に対する精神文化、そこが今、現代書にも流れ込んでいるじゃないかと思うんです。だから、片方に中国書的な書の概念があり、片方に極めて西欧的な美意識があって、その真ん中で揺れ動いているというか、どっちに近くなったかで、その人その人の考え方が非常に幅のあるものになっている。その縮図がまさにこの布穀会の30年の歴史じゃないかな、と思えるんですが…。その辺、若い人からみてどうですか。

 

椎木

墨象を描いた時でも、やはり画家に出せん線いうのは、書の古典なり、線の勉強してないと出せんものがありますし、近代では橋本明治あたり、東洋の芸術は線の芸術だといっているんで、書にこだわることもなしに線の厳しさを表現するのは難しいでしょう。良寛の話が出ましたけれど、良寛の線にしても非常に厳しい線が出てますし、熊谷守一の蟻にしてもほんとに2~3㎝の線でも厳しい線が出る。そういう線というのは人間を表現するのかな、と思うんです。

 

徳田

私も両方やっていますので、西洋というか絵画の中の線と、東洋のものである書の線とは、やっぱり違う種類だと思います。私の好きな線は、線=精神性につながっているものなので、絵の中にそれがたくさん見つかるということは殆どありません。それは書にいちばん感じますが、墨でなくてもとにかく引いた線が厳しくて、画面の中にあることによって、素晴らしいものになるというのは、やはり精神性の高い線だと思っていますので、線の概念はそこに到達したいですね。

 

これからの布穀会、それぞれがいい仕事をしよう!

田宮

布穀会は30回展を経て、これから新たな歴史を刻むことになるんですけれども、どういう心構え、決意で新しい時代に向かっていくのか、若い人から聞きましょうか。

 

椎木

上田桑鳩の流れを汲んでいる者として、桑鳩が日展を飛び出した時が、文部省や天下に喧嘩を売っているようなものと思うんですね――これが第1弾。それから奎星会、400~500人ですか、そういう団体の中で14人が飛び出して行った時、これもすごいエネルギーだと思うんです――これが第2弾。今もう、個展にしても、グループ展にしても、団体展にしても何でも皆停滞して、むしろ桑鳩が上京する前のような時代になっているのではないか。そこで、布穀会をつくった時のメンバーがおられる今、30回展を機会に第3弾を打ち上げるチャンスじゃないか。だから、30回展を境にして布穀会の新たな出発としたいと思うんです。

 

小野寺

篠原有司男というアーティストがいます。ボクシング・ペインティングという墨汁をボクシングのグローブに詰めてぶつけて書く。それがペインティングとはいっていますが、まるで「書」なので面白いんですね。私たちがやっていることも瞬時のことなんだけれど、非常に静かに静かに精神の中に内在させて温めてふくらましたものを一気に出すということですが、そこが絵と違うと思うんです。書がアートなんだ、芸術なんだということを広くあまねく知らせるのにはボクシング・ペインティングの意味ってすごいなぁ、という感動を覚えたんですね。私たちが累々と何十年、何百年もやってきたものも芸術でしょうが、あゝいうアクティブなことで書は芸術なんだと多くの方たちを魅了するとしたら、それも、もう一つの真実かなぁと、そして私も新しいことをやりたいなぁと思いました(笑い)。

 

徳田

書とか絵とかではなくて線に対して一流の芸術家になってほしい、と。線に対しては、ちゃんと自分の説明を――説明は作品で出しているから言葉では必要ないんですが。私たちがしていることは、ひとり一人の世界で追求する最高の芸術だと思います。私はそういう精神でやっていきたい。

 

梅木

自分が自分のことをやっていく以外にないなあ、と。それを皆さんが認めてくださるかどうか分かりませんけど、自分勝手に自分がこう思っているという、それをやるしかないですね。

 

横山

やはり、書とか絵とかの境界をつくらないところで仕事したいですね。海外でも私の作品を発表するのですが、どういうわけか我々のやっている仕事をヨーロッパやアメリカの連中は真似するんですよ。我々は文字で育ってきたんだけど文字の規則性だけを守っていくのが書づくりじゃないと、このようなことを通してはっきり自分では体験したわけ。今までの決まったものを見直して書の解釈を広くし「書は芸術である」という認識へ持っていかなければならない、と思っています。

伊藤

ショーペンハウエルが「すべての芸術は音楽にあこがれる」といっている。それを考えて29回展に出したのが雁塔なんですね。ちょ遂良の雁頭、あれを忠実に臨書して線の流れが見えることね、いわゆる行書の法で書いていますからね。でも、筆のひっかかりも、「デッ」とやるのがいきなり「ズーッ」と続くんですけど、びっくりしましたよ。だから、あの出し方をもってすれば抽象というのは字を書かなくても、一つの美の世界を表す。これは先程村上華岳に触れた時、線というものは前世からの因縁かもしれないという見方を華岳はしているといいましたが、因縁を表現するということを狙えば、それが書というものにもっていくんではないか。文字を書かなくても線を追求するということ、それともう一つは、私は一枚の紙に、自分の世界だと思うその中に墨を入れる時、書き残される白という、僕なんかは、どこかで白を書こうとする思いで書いているんですけど、一本の線で、それを「ズーッ」として人に訴えるには、その線を際立たせる背景がなければならない。書の場合は、それは白だと思っています。簡単だと思います。それを大切にしながら線を網羅していく時、芸術の世界が生まれる、そんな風に思っています。

 

田宮

布穀会の創立から30回展への抱負まで皆様方の考えを一通り述べていただきました。30年前の熱い想い、そしてこれから始まる新しい仕事、皆様の胸の内にはさまざまなことが行き交っていることと思います。会員ひとり一人が、布穀会が長年積み上げてきたものを生かして、新しい自分に向き合い素敵な作品を創っていくことを願ってやみません。

 

秋山

田宮先生をはじめ、ご参加いただいた皆様、本当にありがとうございました。